「神の愛の絆」

聖書:ローマの信徒への手紙8章31~39節

本日の礼拝は召天者記念礼拝として捧げています。水海道教会と関わりのある、先に天に召された方々を覚えつつ、私たちも与えられている人生の旅路を、神様とこれらの信仰の先達に見守られながら共に歩んでいることを改めて思い起こす機会です。

さて、本日の聖書箇所をご覧ください。この手紙を書いたパウロと言う人は、こう言っています。35節~37節をご覧ください。「だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。・・・しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。」

パウロがこの言葉を書き記したとき、彼はいつ自分がこの神の愛の手から引き離されるか分からないという不安に脅えていたのではありません。むしろ、神の御顔が見えなくなる、そういうことがたとえ起こったとしても、自分を捕えているキリストの愛に変わることはないという確信と平安に満ちて、このように記したのです。

だからこそ、彼は37節でこう語ることができたのです。「しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています」

ここで、パウロが「わたしたちは、わたしたちの信仰によって輝かしい勝利を収めています」と言っていないことに注意してください。パウロが言っているのは「しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利をおさめています」と言っているのです。この輝かしい勝利は、私たちの信仰や能力や資質にかかっているのではない。それは、ただキリスト・イエスに示された神の愛にかかっているのです。

ところで、「これらすべてのこと」とは、一体何をさすのでしょうか?一つには35節の後半に記されている事柄を指していると考えられます。すなわち「艱難。苦しみ。迫害。餓え。裸。危険。剣。」。これらの事はすべて、パウロが彼の伝道の生涯において経験してきた事柄です。

そして、もう一つには、この37節を受けて、「わたしは確信しています」と語りだす、38節以下に記されている事であると考えられます。38節「・・・・・・」。時間の関係で、ここに書き記されている言葉を一つ一つ点検することはできませんが、おそらく皆さんが心惹かれて読むのは最初の言葉だと思います。それは「死」という言葉であります。ここで真っ先に「死」が挙げられているのはなぜでしょうか?それは、愛と戦うもの、愛に対して一番強い力を発揮するのは死の力だからです。死の力が愛の絆を引き裂く最も恐るべき愛の敵だからです。

地上を生きる私たちと、天に召された方々とは、死によって引き裂かれたわけではありません。死さえも、神の愛から私たちを引き離すことはできないとパウロは力強く宣言します。 そうです。イエス・キリストの十字架の死と復活によって結ばれた神の愛の絆により、私たちと天に召された方々との絆も堅く結ばれているのです。そうです。「どんなものも、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、私たちを引き離すことはできないのです。」