隔ての壁を超えて」 手束信吾牧師

聖書:ヨナ書4章1節~10節 ヨハネによる福音書4章27節~42節

今日の聖書箇所は、「えっ。神様。こんな人たちが救われるのですか・・・」という思いを読者に呼び起こします。「えっ。こんな人たちが救われるのですか?」という思いを人が抱くとき、その人の内には、一体何があるのでしょうか?

それは、自分は正しい。自分は正常だ。自分は努力をしている。・・・というような思いではないでしょうか?清く、正しく、頑張っている私たちこそが、神様からの報いを受けるべきであり、そうでない人々に対して、神様は恵みや憐れみを与えるべきではない。・・・と。

では、そういう思いの背後にあるものは何でしょうか?それは二項対立的なものの見方、考え方ではないでしょうか? 善か悪か、義人か罪人か、清いか汚れているか、敵か味方か、右か左か、保守かリベラルかなど・・・この世界にある二項対立的なものの見方には枚挙にいとまがありません。そういう二項対立的なものの見方が、この世界のあちらこちらに隔ての壁を築いているのです。今日の聖書箇所であれば、ユダヤ人か異邦人か・・・ということであります。

イエス様はそれらの隔ての壁を自由に乗り越えられました。それと共に、御自分が十字架に架かられることによって、隔ての壁そのものを打ち壊してくださいました。神様は、そのイエス様の十字架の死を、ユダヤ人と異邦人両者の罪を贖うものとし、ユダヤ人と異邦人の両者と神様との間に和解をもたらし、かつユダヤ人と異邦人の間を隔てていた壁をも取り壊されたのです。イエス様が十字架の上で成し遂げてくださった、この救いに預かっている私たちは、二項対立的な考え方、ものの見方から解放されて、平和の福音、和解の福音を告げ知らせる使命が神様から与えられていることを覚えたいと思います。そして、この世界のあちこちにある隔ての壁を乗り越え、打ち壊す働きを、聖霊の力によって教会が担えるように祈り求めたいと思います。